2025.03.03
Aちゃんがチャイルドシートに座れるようになった時、車に乗って郊外のモールへ一緒に行くときのこと。私は助手席に座り、Aちゃんの横にお母さんが座りました。その時、泣いたことのなかったAちゃんが助手席の私に手を伸ばして泣き始めたのです。出かける前に友人はオムツを替え、ミルクも飲ませていましたので、何故泣くのかわかりませんでした。すると友人が「席を代わろう」と言ったのです。そこでわたしがAちゃんの横に座ることにしたのです。私がAちゃんの横に座った途端、彼女は泣き止んだのです。まだ5〜6カ月にしかなっていないAちゃんはお母さんより私に親しみを感じていたようなのです。勿論、友人がAちゃんに嫌われていたのではなかったのです。赤ちゃんは、未熟な状態で生まれてきます。目もあまり良く見合えません。耳はよく聞こえるようになっていますので、声のする方に意識を向けます。Aちゃんと遊ぶ時、声を掛けながら遊びましたので、私の声に親しみを持っていたのかもしれません。1歳くらいになるとAちゃんは、私を後追いするようになったのです。
このことから、私は「赤ちゃんに必要なのは、言葉かけと遊びが必要なのではないかと確信するようになりました。ペインター博士の「赤ちゃんとの遊び」を実践したことで、他人の私に親しみを感じてくれる。ということは「愛着の形成」にもなります。赤ちゃんにとって五感の刺激的遊びは心を育てる役割もしていると言えるでしょう。
2025.02.08
赤ちゃんの名前はAちゃん。声をかけるとしっかりと私の顔を見てくれます。Aちゃんの首が座るまでは、もっぱら、言葉かけに徹しました。抱っこしたことはありません。それでもしっかりと目を向けてきいてくれました。5感の刺激遊びは聴覚刺激、視覚刺激、感覚刺激あそびを5分ほど、Aちゃんは、遊びをしている時は、嬉しそうにしていました。3カ月くらいになるまでは、ひとり遊びを見守ったり、声を掛けてあげたりしたものです。4・5カ月位の頃、ある日、お母さんに抱かれていたAちゃんと私が一緒にエレベーターに乗った時のこと、エレベーターに乗りこんで来る人に可愛い仕草で手を挙げたのです。乗りこんで来た方は、その仕草に思わず笑顔で「はーい」と笑顔で対応してくれます。するとAちゃんは、とても嬉しそうに知らない人に同じ仕草をするので、皆さん笑顔でAちゃんに同じ対応をしてくれるのです。Aちゃんはエレベーターに乗る人たちの挨拶を見て模倣したのだと思いました。子どもは周りの環境から学ぶものだと言うことを知らされた場面でもありました。
また、Aちゃんがチャイルドシートに座れるようになった頃、私も買い物をするのに彼らの車に同乗させてもらった時のこと、私は助手席に座り、Aちゃんの横にお母さんが座った途端、いままで泣いたことのなかったAちゃんが私のいる助手席の方へ手を伸ばし泣き始めたのです。おしめが濡れているわけはないし、お腹が空いているわけでもないのにどうしたのだろうと思いました。すると友人が「席を代わろう」と言って彼女は助手席に、私がAちゃんの隣に座った途端、Aちゃんは泣き止んだのです。24時間一緒にいるお母さんより、勉強の合間の空いてる時間にAちゃんと僅かな時間遊んだだけの私に親しみを覚えてくれたことは驚きでもありました。その後の彼女の行動から赤ちゃんにとって遊びや会話がいかに重要であるかをAちゃんが示してくれたのです。
2025.02.02
春になって赤ちゃんが誕生しました。早速初対面、色白の可愛い女の子、まだ,眼は閉じたままでしたが生まれたての赤ちゃんには耳は聞こえるので声をかけました。最近の脳の研究は進んでいて、「生まれたばかりの赤ちゃんには、声をかけてあげましょう」と提唱する脳科学者の論文を目にするようになりましたが、ペインターさんの本には「赤ちゃんは生まれた瞬間から感覚器官を使い始めます」とありましたので、聴覚に働きかけたのです。新生児の赤ちゃんは日中眠っている時間が長いのですが、寝ているときも手足を動かしています。また、「赤ちゃんは五感を通じてすべてのことを学びますし、その五感は生まれた瞬間からすぐ使えるようになっています。赤ちゃんは、見たり、聞いたり、感じたり、味わったり、匂いを嗅いだり、動き回っ足りして、周りの環境に触れながらそれを学び取ります」とありましたので、五感の刺激をする遊びを月齢に応じて実践できることにわくわくしたものです。
2025.01.24
物事は願っていると叶うものです。シカゴのイリノイ大学で3カ月間の英語の集中講座を受けた時のクラスメイトが偶然にもイリノイ大学敷地内にある私と同じアパートに住んで居たのです。しかも、友人は妊娠中の奥さんを同伴していました。(イリノイ大学では、多くの留学生のために英語の集中講座を受けるためのクラスが設けられています)彼の奥さんとはすぐに仲良くなりました。そして出産が翌年の3月であることもわかりました。若いお二人にはシカゴに知り合いがいるわけでも親戚がいるわけでもないため、全くしらない土地で出産する不安もあったのでしょう。歳上の私を慕ってくれ、お二人の育ちの良さも伝わってきて、親しくなっていきました。そして、彼女の出産をワクワクしながら、まるで自分の妹が出産するのを待っているかのような気分で待ち侘びたものです。
2025.01.19
小さい時から赤ちゃんが好きで、友達と遊ぶより近くに赤ちゃんがいると赤ちゃんの仕草や表情、動きを飽きもせずに見ては楽しんだものです。そのために、仕事を選択するとき迷わず「保育士」の仕事を選んだものです。初めての職場は「養護施設」でした。3歳から18歳までの子供たちの日常を援助する仕事でした。私が赤ちゃんに関する仕事に携わるようになったのは、心理学を学び始めてからのことです。アメリカからアドレリアンであるペインター博士が日本に息子さんと遊びにいらした時、お目にかかり、博士から”Teach Your Baby”の本を頂いたときに始まります。その本を読んだ時、まさにわたしが長年探し求めていた内容だったのです。そして、何事も自分で確認しないと納得しない私はどこかでその内容を実践したいものと思って居ました。その機会が訪れたのは、私がシカゴのアルフレッド・アドラー研究所に留学したときでした。